母が90歳を超えて、肺炎で倒れたときのことです。
医師からは「今すぐ気管挿管と人工呼吸をすれば命はつなげます」と言われました。
そのとき、私は何も言えず、「お願いします」とうなずくだけでした。
でも、管につながれ、意識もなく、ただ機械で呼吸をしている母の姿を見て、心が張り裂けそうでした。
数日後に亡くなりましたが、本当にあの延命は、母が望んでいた最期だったのか……今もずっと考え続けています。
「家族のために生かす」という選択が、苦しみを長引かせるだけだったのではないかと、後悔しています。
うちの祖父、ずっと「延命治療なんて意味がない。自然に死なせてくれ」って言ってたんです。
でもいざ心臓が止まりかけたとき、病院で医師に「心臓マッサージと人工呼吸をしますか?」って聞かれて、咄嗟に『はい』って言っちゃったんですよ。
結果、胸を骨折するほど強い心マで、ボロボロの体になって戻ってきた祖父を見たとき、なんて残酷なことをしてしまったんだろうって思いました。
最後は痛み止めも効かず、苦しんで亡くなって…。
祖父の「自然でいい」という願いを、私が壊してしまった後悔は、今も消えません。
祖母は脳梗塞で倒れ、昏睡状態に。
医師からは「延命治療を施せば、数週間〜数か月は生存が見込める」と説明を受けました。
医学的には、その選択に間違いはなかったと思います。
でも、祖母は意識もなく、目を開くことも声を出すこともなく、ただ時間だけが延びました。
介護ベッドの横で、私は「何をしてるんだろう」と何度も思いました。
生きているけど、生きていないような時間。
あれは“治療”だったのか、“苦しみの延長”だったのか、今も答えが出せていません。
父の延命治療、正直、何が正解かわかりませんでした。
とにかく「死なせたくない」「まだ生きててほしい」っていう気持ちだけで、人工呼吸も、経管栄養も全部お願いしました。
だけど、気づいたら父とは何も話せないし、触れ合えない状態で1か月が過ぎてて…。
「ありがとう」も「さようなら」も言えないまま亡くなって、“生きてる”って何だったんだろう?ってすごく考えました。
自分たちが「正しいことをしたい」ばっかりで、父の人生の終わり方を考える余裕がなかった。
それが、今でも後悔してることです。
認知症が進んでいた母が誤嚥性肺炎で入院。
医師から「延命治療を行うか、自然な経過を見守るか」問われたとき、私は“娘として当然、生かすべき”だと思い込んでいました。
でも、母は食事も会話もできず、点滴とチューブだけの生活に。
面会のたびに、やせ細っていく姿を見て、私は母の命を守ったのか、ただ苦しませただけなのか、わからなくなりました。
「親を助けたい気持ち」と「母らしい最期」の間で、正しい判断ができなかった自分に後悔しています。
父が急性心不全で倒れたとき、兄は「できることは全部やってくれ」と言い、私は「もう自然に任せよう」と言いました。
結局、兄の意見が通り、延命措置が施されました。
でも、父は人工呼吸器とモニターだらけの状態で1週間後に亡くなりました。
苦しそうな表情を見て、私は「やっぱりあのとき止めるべきだった」と思いました。
兄とはその後しばらく口もききませんでした。家族間での価値観の違いが、こんなに深いとは思わなかったです。
私は看護師として、患者さんの延命処置を何度も見てきました。
自分の祖父のときも、「医療職なんだから冷静に判断できる」と思っていたんです。
でも、祖父に胃ろうをするかどうかで家族が迷ったとき、私は「まだ生きられるんだから」と言ってしまった。
結果、祖父は3か月間、苦しみながらも亡くなりました。
「生きる」ことと「生かす」ことは違う——それを知っていたはずなのに、身内になると冷静ではいられなかった自分に、ずっと引っかかっています。
母は10年、寝たきりの状態で在宅介護でした。
何度も誤嚥や尿路感染を繰り返して、そのたびに入退院。
最後の入院のとき、医師から「これ以上の治療は、本人にとってかなり負担になる」と言われたけれど、私は“できる限りのことを”とお願いしてしまった。
その結果、母は最後の1週間、痛みにうなされ、言葉も出せないまま亡くなりました。
介護をしてきたからこそ、「もっと早く楽にしてあげればよかった」と心から思うのです。
祖父に延命治療を施したこと、当時は間違いではなかったと思っています。
だけど今、同じ状況になったら、私は「やめてください」と言うと思います。
あのときは「まだ会いたい」「生きててほしい」という自分の気持ちを優先してたけれど、祖父は目も開けず、苦しそうだった。
“今の自分”から見ると、当時の選択は祖父のためじゃなく、自分が後悔しないための選択だった気がします。