親を看取ったあと、後悔や喪失感とどう向き合えばいい?

 

ご相談者

母を見送ってから、気が抜けたような毎日です。
最後にもっとちゃんと話せばよかったとか、もっと早く気づいていれば…とか、
いろんな後悔ばかりが頭に浮かんでしまいます。

周りからは「よく頑張ったね」と言われるけど、正直、自分ではそう思えなくて…。
この気持ち、どうすればいいんでしょうか?

ご相談ありがとうございます。

大切な人を看取ったあと、心の中に広がるのは、
静けさでも、穏やかさでもなく、ぽっかりとした穴のような「喪失」です。

そしてその穴には、「もっとこうすればよかった」「ちゃんと伝えられなかった」など、
自分を責めるような思いが入り込んできます。

でもそれは、あなたがどれほど相手を大切に思っていたかの裏返しです。
「後悔するくらい真剣だった」その気持ちこそが、あなたの“証”です。


喪失感は「なくそう」とせず、少しずつ“なじませて”いく

  • 涙が出てもいい

  • 同じことを何度も思い出してもいい

  • 思い出の品に話しかけてもいい

喪失とは、“なくなる”ことではなく、「形を変えて残っていく」ことなのだと思います。

心のなかに「いなくなった」実感があっても、
思い出のなかに「い続けてくれる」実感も、ゆっくり育っていきます。

周囲の「頑張ったね」に違和感があっても、責めないでください

人はよく、「看取りを終えた人」に言葉をかけたくて「頑張ったね」と言います。
でも、自分では頑張れた気がしなかったり、心のなかで何かが引っかかってしまったり…。
それもすべて自然な反応です。

「ありがとう」「ごめんね」が混ざる日々。
答えのない感情を“そのまま持ち続ける”ことも、十分に「向き合っている」ことです。

気持ちが整理できないときの過ごし方

  • 時間を区切らず、毎日を「小さな習慣」で乗り切る
     (朝起きて白湯を飲む/散歩に出るなど)

  • 日記やメモに、感じたことだけを一行でも書き留める

  • 信頼できる友人や、専門家に話してみる(地域包括支援センターにも相談可)

後悔は、なくすものではなく“抱えて歩くもの”

親を見送ったあとの寂しさは、すぐに癒えるものではありません。
でも、後悔や喪失感は「心の傷」ではなく、“愛していた証”として、これからも静かに寄り添ってくれる存在になるはずです。

忘れる必要はありません。
思い出すたびに、自分自身をいたわってあげてください。